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IN OUR NATURE Tkashi Homma 2011.6.18 SAT - 7.18 MON / HOLIDAY ART GALLERY ARTIUM
見るでもなく、ただ視界にあるといった風景を眺めている気分になる写真である。作品コンセプトには、Photography is, first of all, a way of seeing. It is not seeing itself.というフレーズが好んで引用される。※ “first of all”は、第一に、であるとか、真先に、の意味に使われるが、写真の第一義は物の見方の一つの方法であり、見るという行為それ自体ではない、とでもなる。

ホンマタカシ / 1962年東京生まれ。写真家。1999年、写真集『東京郊外 TOKYOSUBURBIA』(光琳社出版)で第24回木村伊兵衛写真賞受賞。2008年、ニューヨークのApertureから写真集『TOKYO』を刊行。1993年から2007年までの間に東京をテーマに撮影した作品が収録され、それまでの集大成的な内容になっている。2009年、単行本『たのしい写真 よい子のための写真教室』(平凡社)を刊行。このほか主な写真集に『Babyland』(リトル・モア/1995年)、『Hyper Ballad: Icelandic Suburban Landscapes』(スイッチパブリッシング/1997年)、『東京の子供』(リトル・モア/2001年)、『Tokyo and my Daughter』(Nieves/2006年)、『NEW WAVES』(PARCO出版/2007年)、『trails』(マッチアンドカンパニー/2009年)、『widows』(Fantombooks/2010年)、『M』(ギャラリー360°/2010年)などがある。2010年より東京造形大学大学院客員教授。雑誌、広告など幅広いジャンルで活躍する傍ら、東京、波、子ども、山などを被写体に制作活動や執筆活動を続けているホンマタカシ。独自のドライな視点で切り取った被写体との距離感、写真というメディアに真摯に向き合い生み出される作品は、国内外で高く評価されている。1980年代後半からは、広告、ファッションの領域を中心に活躍し、90年代初めにはロンドンの先鋭的なカルチャー誌『i-D』で様々な方法で写真を制作する。1999年には東京の郊外風景と人々を撮った写真『東京郊外』で、第24回木村伊兵衛写真賞を受賞。近年では、書籍『たのしい写真、よい子のための写真教室』(2009年)の出版や、写真の可能性を探るワークショップの開催、2011年には国内初の美術館での個展を金沢21世紀美術館を皮切りに各地で展示を行うなど活躍の場を広げている。ホンマタカシ IN OUR NATUREの展覧会は、2011年 6月18日(土)~7月18日(月) 三菱地所アルティアムで行なわれた。※

honma3.png見るでもなく、ただ視界にあるといった風景を眺めている気分になる写真である。作品コンセプトには、Photography is, first of all, a way of seeing. It is not seeing itself.というフレーズが好んで引用される。※ “first of all”は、第一に、であるとか、真先に、の意味に使われるが、写真の第一義は物の見方の一つの方法であり、見るという行為それ自体ではない、とでもなる。見る側にも間近の風景を眺めている錯覚をさせる写真は、この引用されたフレーズを忠実に再現したものと思える。ただ漫然と目を開き、焦点をどこに当てようかと眼球は彷徨うのである。カメラの焦点の取り方によっては普段の我々の無造作な視界を再現することは可能であり、It is not seeing itself.、”見るという行為それ自体ではない”ということを再現して見せる。サボテンが繁る草むらの写真の中にぼんやりと映るプラント名の標識や散水用のホースの管のようなものを見つけるが、映画のロケーションの中の撮影ミスを見つける趣があり面白い。見た目はどこかの裏山にある雑木林だが、実は公園であるという写真である。紅葉の樹々の背景には薄らと高層ビルの匂いを感じる。大草原に忽然と現われるロックペイントでも発見できそうな岩山は、足下の小石だろう。ここでも、フレームによる切り取りから起きる連想と経験知による錯視とも思える現象を見せることにより、写真表現とは見方の一方法であると暗に言っているのである。つまり、写真のように見る。ということになる。どこまでも人間は、あきらめないでいる。神のような視点が欲しい。「イン・アワ・ネイチャー」の趣旨には人間と自然との共生が語られる。“共生”という名詞は特に生物間の棲み分けに用いられ、互いに補いあうという意味合いである。哺乳類と昆虫の場合もあるだろう。鳥類と植物の場合もあるだろうと想像する。「Natureという言葉には、自然という意味と、人間の本性、本質という意味があります。ここに展示している写真は、ただ手付かずの自然ではなく、公園とか庭とか、人の手が入った自然なんです。人は自然を壊して街を造る一方で、どうしても自然と共生したいという意識があります。僕は10年くらい前から、人間と植物の共生みたいなことにすごく興味がありまして、これまで撮りためていた写真をここでまとめて展示することができたことは、すごく良かったと思っています」※ 会場内のギャラリートークからである。すんなりとした表現の中で言われるのは、人は自然を壊して街を造るが、自然と共生したいという意識もあるという趣旨である。すなわち人間は、何らかの理由を携え、この地に生まれ落ちたのである。石を加工して斧を考え出し、野牛を殺し食し、その毛皮を纏い、火をおこすことを覚え、終いには植物を育てること考え出し、二本足でしっかりと立って狩りの生活から定住を試みた。自然は雄大であり憧れるが、人間の精神という力でもって自然の囲い込みを試みて創造力により快感情を得たのは確かだろう。一度は焦土と化した国土に、全てがつくり物の世界を感じながら戦後の若い世代は育って来た。写真家ホンマタカシもまたそうであっただろう。今日在ったものが、明日は無いかも知れない。つくっては壊し、つくっては壊すから。もうこのようなことはあって欲しくないと思っても、その日から我々は一から出直さなければならない。次々と時代は変化して行き、本物と思ったことが、そうではなく、次の本物へと時代の要請かのように目の前は変わって行く。いつの時代であれ、幼い目はめまぐるしい時代というものを親の背中といっしょに見ているものである。最初から在った自然は忘れ去られ、ひとの生活は益々作りものへと変わり、それは事実という限りに於いて幻想ではなくひとの世界であるということを新ためて覚えて行く瞬間でもある。写真表現による”らしさ”を捨てることの意味が、”自然との共生”という言葉を借りてホンマは言ってみたいのだろう。写真表現もまた絶望へと導くことに気づくだけである。どこまでも”seeing itself”は、ありようがない。掲載の右最下段の写真はホンマタカシ「イン・アワ・ネイチャー」の作品ではない。こちらで用意したホンマタカシの物まねになってしまった写真である。意味があるとすればギャラリーのあるイムズビルの建物の脇にある「百草木の径」とネーミングされた草木をあしらった短い通り道を、ずいぶんと前に用あって通りがかった際に一眼レフもどきのデジタルカメラで撮ったものだ。「イン・アワ・ネイチャー」の写真のように、どこかの裏山の雑木林のように見えるのだが、実は、都心の瀟酒なビルの脇にある小径である。よく見れば前方の樹々の間にジュンク堂書店のあるビルの気配があり、左下には水道の散水栓のものか、または水道メーターを埋め込んだものと思われる鉄の蓋が見える。会場に設けられたインスタレーション「seeing itself」という作品名の四角い板張りの長い筒を通して双眼鏡で探し当てた結果なのかも知れない。しかし、早い者勝ちには、かなわない。※
<引用出典>※画像はホンマタカシ IN OUR NATUREの展覧会三菱地所アルティアムのフライヤーより。
※主催:三菱地所、三菱地所アルティアム、西日本新聞社 後援 :福岡市、(財)福岡市文化芸術振興財団※ホンマタカシが好むスーザン・ソンダク : スーザン・ソンタグのエッセーからの引用。/ スーザン・ソンダク : スーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933年1月16日 - 2004年12月28日)は、アメリカの著名な作家、エッセイスト、小説家、知識人、映画製作者、運動家。人権問題についての活発な著述と発言でその生涯を通じてオピニオンリーダーとして注目を浴びた。批評家としてベトナム戦争やイラク戦争に反対し、アメリカを代表するリベラル派の知識人として活躍した。2003年にドイツ出版協会の平和賞を受賞している。ソンタグの根本的なスタイルは固定観念を持つことを避けることにあった。ジェーン・フォンダのようにハノイには行ったものの、彼女と違い反戦運動をするわけではなく、「戦場を目の当たりにして感じた嫌悪感について書く」ことに専念した。一方で、晩年コソボ空爆への武力行使を支持した。2004年12月28日、骨髄異形成症候群の合併症から急性骨髄性白血病を併発し、ニューヨークで死去。71歳。彼女は30年間、進行性乳癌と子宮癌を患っていた。遺体はパリ・モンパルナスの共同墓地に埋葬された。※インターメディアステーション・天神イムズの「百草木の径」:東側外周の植栽をヒートアイランド現象の対策への試みとして、地元の土(泥)を使い昔から日本にあった三和土床(たたき)を創り、できるだけ自然に近い里山を再現(2001年)。現在もたくさんの植物や雑草が自由にのびのびと育っている。イヌダテ、ゲンノショウコ、ホタルブクロ、キョウカノコ、イワナンテン、ヒメイズイ、カキドオシ、イカリソウ、トウバナ、ツリガネニンジン、エノコログサ、キキョウ、アザミ、メグスリノキ、ハクサンボクなど。


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