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The garden of mythological dreams and the pain of awareness / Golmaryam Masood Ansari
神話的空想の庭と覚醒の痛み / ゴルマリヤム・マスード・アンサリー

Now it is the big wave of the time that passes through me."
For me art is not just an interpretation of life; it is life itself. Perceiving good and bad times, unexpected happenings, happiness and sadness. But life is not a daily interpretation, but the presence of the unseen, the unheard, dreams, desires along with dailiness.
These works are nothing but what I have been carrying on my shoulders for years. Beautifu1, ugly, good and bad things have all been defined against the backdrop of an unreal world.
1 would like to thank all those who have always been with me and who have been a drive for me:
my kind and lovely husband, my family, especially my kind mother, and my dear professors, Mr. Jodey and Mr. Severi and my dear friends in Iran and Japan.
Golmaryam Masood Ansari

golmaryamimage.png私を通り過ぎる時間の波が今高まる”
私にとって芸術とは単なる人生の解釈の手段ではなく、人生そのものである。いい時も悪い時も、時ならぬ出来事も幸せも悲しさも、すべてを受け止めること。人生もまたそれ自体、単なる日常の解釈ではない。日常のそばにある目に見えないもの、聴こえないもの、夢や願いの存在、そのすべてが人生である。これらの作品は、私が長年背負い続けてきたもの以外の何ものでもない。美しいもの、醜いもの、よいもの、悪いもの、これらはすべて非現実の背景に描かれている。
この場を借りて、私とともにいてくれた全ての人、私の原動力となってくれた人々に感謝を捧げたい—愛する優しい夫、私の家族、特に優しい母に、敬愛するジョディ先生とセヴェリ先生、そしてイランと日本の友人たちに。
ゴルマリヤム・マスウード・アンサリー

Profile
Golmaryam Masood Ansari was born in Tehran in 1981. She studied painting at Tehran Azad Art University and learned drawing under the supervision of Mr. Alireza Jodey and Ms. Mahnoosh Naderi and the basics of coloring in Mr. Babak Etminani's classes. She studied the theories of the critique of art works, the history of world's art and the history of feminist world's art with Mr. Severi.

golmaryam-thumb3.pngExhibitions:
Iran
- Print work Exhibition at the Arrasbaran Community Center. (2006)
- Montakhab-e-Nasle Nou (Selected by the New Generation) Painting Exhibition at the Homa Art Gallery. (2006)
- The Fourth International Painting Biennial of the Islamic World. (2006)
- Painting Exhibition at the Mah-e-Mehr Gallery. (2007)
- Painting Competition at the Attashzad Gallery. (2008)
- Mardoodin Painting Exhibition. (2008) –
Japan –
- Photo Exhibition. (2010)
- Exhibition at the Makii Masaru FineArts. (2011)

プロフイール:
ゴルマリヤム・マスウード・アンサリー
1981年テヘラン生まれ。テヘラン自由芸術大学で絵画を学ぶ。デッサンではアリレザー・ジョディ、マフヌーシュ・ナーデリー両氏に師事。ババク・エトミナーニー氏の指導で彩色の基礎を習得し、美術批評理論と世界美術史、フェミニズム美術史をセヴェリー氏の元で研究。
2009年より横浜在住。※

golmaryam-thumb2.png過去の展覧会出品:
◆イラン
ーアッラスバラン・コミュニテイーセンター版画展(2006年)
—ホマーアートギャラリーモンタハベナスレノウ(新世代セレクション)絵画展(2006年)
—第4回イスラム世界国際絵画ビエンナーレ(2006年)
—マーヘメヘルギャラリー絵画展(2007年)
—アッタジュザードギャラリー絵画コンペテイション(2008年)
—マルドウーデイン絵画展(2008年)
◆日本
—マキイマサルフアインアーツ展覧会(2011年)※

手の中に、はがきより一回り大きく光沢のある紙に印刷された小さな冊子があるのだが、予想以上に作品集としての強い思いが籠められているように思える。「Golmaryam Masood Ansari / The garden of mythological dreams and the pain of awareness / 神話的空想の庭と覚醒の痛み」が表題である。冊子のつくりとしても、表紙にベールを纏った女性のモノクロームの写真を配した謎めいた演出と言い、ゴルマリアム・マスウード・アンサリーは意匠を凝らす。
制作年、2006年から始まるプロローグの紙面を覆うのは色彩、形相に於いて暗鬱なものを感じるのであるが、身体的不快感に例えれば逃げ道のない頭痛を伴うからだの重さだろうか。幾重にも折り重なった残骸を思わせる風景が苦痛に歪んだ表情とともに現れる。いつの日の、誰の表情であるのかは最早察しようがない。それは、網膜に焼き付いているから現れたのであろうが、自覚のない身体だけが遭遇している視線のごときものにちがいないのである。波のように押し寄せる得体の知れない浅い夢の中の残像を思う。
2011年からのゴールド色に塗られた半立体作品は、額に手を当てたひとの形が特徴的である。瞑想を思わせる閉じた瞼に、作家は煩悶と苦悩を託したにちがいない。その表象のルーツは、広く、様々な美術の影響下にあったと思われるゴルマリアム・マスウード・アンサリーの知性に等しいだろう。古代の壁画をながめるように見れば良いと促しているようにも思われる。否、寧ろ、ゴルマリアム・マスウード・アンサリーの作品にあるゴールド色の印象は正直にそんなふうに言っている。生々しい現実から遠ざけるには、ゴールドは装飾的で品格と豪奢を装うに充分であるからである。“近代彫刻の父”と呼ばれるひとの作品を想像するだろうか。 わが国の、あまりにも有名な魅惑的とも言われる仏像を想起するだろうか。※ イメージは、対象を伴うのである。ゴルマリアム・マスウード・アンサリーの作品から受ける印象は、メランコリー、深い憂鬱と思索に行き着く。※ 
怯えた様子の幼い姉妹と思われる姿が描かれている。実は、私たちはひとりである。誰も気づきはしないのである。作品は「私たちの時代の誕生」。つまり、生まれてこなければ良かったのではないのか。何故なら、すでに老いているからである。沈鬱な表情は、身動きが未だにできないでいる。「Birth 誕生」。目を閉じ瞑想する少女とも受け取れるゴールドに染まる半立体作品は長い髪を身を纏う衣かのように浮かび上がらせながら、水瓶を手に泥土の中で祈りを捧げるのである。哀れみは誰に向けられたものなのか。それとも、命乞いなのか。傍らの枯れ葉は涙に暮れるには充分である。「Death 死」。死は訪れる時に訪れるが、わたしには、そうとも思えない。私の子を返して。お願い。母は泣き崩れるのである。「Marriage with you あなたとの結婚」は、「Marriage with myself 私自身との結婚」でもあった。引き裂かれていた私は、優しいあなたのもとでどう振る舞おうか。「Re-birth 再誕」は、自ずと苦痛を伴うであろう。生々しい現実の中で、否応無く私は、そう思ってしまうのである。※私たちの人生は、為されるがままであるとゴルマリアム・マスウード・アンサリーは言っているように思える。描かれた苦痛や悲劇、そして、愛情でさえも深い憂鬱と思索の中に取り込まれているのである。

※テヘラン / テヘランは、西アジア、イランの首都でありかつテヘラン州の州都。人口12,223,598人。都市圏人口は13,413,348人に達する。テヘランはイランの文化的中心でもあり、多数の博物館、美術館、宮殿、文化センター、高等教育機関を擁する。宗教的中心でもあり、モスクのみならず、キリスト教の教会やユダヤ教のシナゴーグも各所にみられる。住民の大多数はシーア派イスラム教徒。20世紀から21世紀にかけて、イラン各地から大量の人口流入があり人口が急増した。テヘランの住民は、ペルシア人が大多数を占めている。他には少数のアゼルバイジャン人、アルメニア人、ユダヤ人などもいる。住民の98.3%はペルシア語を話す。※『考える人』は、オーギュスト・ロダンが制作したブロンズ像である。思索にふける人物を描写した像として有名。フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin、1840年11月12日 - 1917年11月17日)は、フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。※頰杖ついた半跏思惟像と言えば京都の広隆寺の弥勒菩薩像は特によく知られており、国宝に指定されている。弥勒菩薩像はインドでは水瓶を手にする

mmf.png<引用写真出典 / Blog of the contemporary art gallery named situated at Asakusabashi,Tokyo
東京・浅草橋のギャラリー、マキイマサルファインアーツ>
※マキイマサルフアインアーツ / 〒111- 0053 東京都台東区浅草橋1-7-7
Tel & Fax 03-3865-2211(写真右)
浅草橋にあるギャラリーへの道程、あまりにもふつうの商店街の風景に迷ってしまった。
これはこちらの勝手な思い込みである。
”一軒家”に到着した。

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