tree.jpg

幸田文 木 えぞ松の更新

倒木を何かになぞらえるというよりも倒木した木そのものを感じるのである。その臭いとか肌触りとかまわりの空気感である。”自分ももうとしだし、この縁を外したらと思うと気がせいて、”気がせいてしょうがないことがある幸せがしょっちゅうあるはずではないということである。否、こういう幸せは自分の一部であり、たぶんにこのえぞ松の倒木更新作業にあるのだと思うことであるだろう。読んでいておもしろい。こういうことを書いてある文章の方が読んでいてひき込まれる。つまり、北海道の自然林では、えぞ松は倒木のうえに育つ。ということを聞いては、居ても立ってもおれないのである。相手は何百年のサイクルで生きる代物である。そして、整然と行儀よく、一列一直線にならんで立っているそうである。

さいわいに富良野の、東大演習林見学の便宜を与えられた。思いこんだ一念で、ぎゃあぎゃあとわめいたからである。わめかれ頼られた方々こそご災難、まことに申訳ない、とわかっていてもやめられなかった。自分ももうとしだし、この縁を外したらと思うと気がせいて、ひとさまのご迷惑も自分のみっともなさも、棚へあげて拝んでしまったのだから、えぞ松に逢えると確かにきまった時はうれしかった。※

いかようにも書けるが木は木であるから木は無口であるからむず痒くて仕方がないのではないのではないだろうか。かといってそれ以上に言えるかと誰かに聞いても答えのしようがない。そのようにつくられているものを覆すなどできはしない。生きる意味を得るにはいろんな工夫がいるが、抽象に一歩入る手前の何とも言えぬ恥ずかしさがわからなければやめたがいい。つまり、そんな感覚は死んでもって行くものであると思うからである。死んでからのお楽しみと言うべきである。はじめの日は、北海道産の大樹の見本を見た。圧倒された。定寸法に伐られた皮つきの大木の見本である。日常では見るべくもないから神経はヘナヘナした。二日目は”樹海”へいき精英樹elite treeを見る。折柄のの小雨と谷からの霧に美しさを感じてそのエリートを前に思わず感情が高まるのである。そして、目的のえぞ松の倒木更新である。

この木、何年くらいしてるんでしょう、ときいた。二百五十年、三百年の上でしょうかね、ここは条件がきびしいですから、年数の割に太さはないんです、という。佇んで気を静めていると、身をめぐってあちこちに、ほつほつと、まばらに音がしていた。どことなく雫の落ちて、笹の葉を打つ音なのだった。雨の名残か、霧のおみやげか、それとも松の挨拶だろうか。肩に訪れてくれた音もあった。※

この後確かに筆者の世界をかいま見て思うこともあるが、それはあくまでも勝手ながら彼女の世界であると思うのである。いっしょにピースなんてできない。あくまでも彼女の世界である。ただしかし、こういった世界へ導いてくれたことへの感謝は忘れてはならない。それがひとの世界であろうと思うのである。何ごとも経験がないと説明がつかないものである。

えぞ松は一列一直線一文字に、先祖の倒木のうえに育つ。一とはなんだろう。どう考えたらよかろうか。さぞいろいろな考え方があることだろう。私にはわからない。でも、一つだけ、今度このたびおぼえた。日本の北海道の富良野の林中には、えぞ松の倒木更新があって、その松たちは真一文字に、すきっと立っているのだ、ということである。なんとかの一つ覚えに心たりている。※

※幸田 文(こうだ あや、1904年(明治37)9月1日 - 1990年(平成2年)10月31日)は、日本の随筆家・小説家、日本藝術院会員。作家の幸田露伴、母幾美(きみ)の次女として東京府南葛飾郡寺島村(現在の東京都墨田区東向島)に生まれる。
※幸田文 木 えぞ松の更新 / 1992年 新潮社刊 / 「樹木に逢い、樹木から感動をもらいたいと願って」北は北海道、南は屋久島まで、歴訪した木々との交流の記。木の運命、木の生命に限りない思いを馳せる著者の眼は、木を激しく見つめ、その本質のなかに人間の業、生死の究極のかたちまでを見る。倒木の上に新芽が育つえぞ松の更新、父とともに無言で魅入った藤、全十五篇が鍛え抜かれた日本語で綴られる。生命の根源に迫るエッセイ。
※自然林画像はwww.pexels.comから。

2016.12.29.

Support Wikipedia