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One Hundred Nights / Chisato Tanaka Exhibition 田中千智 2015 個展「100 年の夜」

田中千智/ 2005年 多摩美術大学 美術学部 絵画学科 油画科 卒業、1998年 九産大付属九州高校 デザイン科 卒業。1980年生まれ。現在、福岡県在住。

実はよくは覚えてはいない。薄暗い踊り場で偶然に会ったね。少しアルコールが入っていたせいもあるが、吸いつくように側にいたから不思議に思っていた。そのちょっと前まで、少しだけ知っている若者の作品を寸評していたら側の初老の男が生意気を言うなというような言葉を浴びせたのを覚えている。
あぁ、そうですかと言ってそこを去った。言い得て妙であったか。
それにしても、大きな目でまじまじとこちらを見るものだからどぎまぎとしてとり繕うような戯言を言ったようであった。下へ降りたら、連れの女とこちらを見て何やらしゃべっていたね。その女は不満げな様子であった。
読み止しの本の影響もあるが、百年の夜のタイトルに敗戦後七十年を被せて思ってみる。うまく繋げることができるかどうかは、かなり怪しい。
一世紀には三割がた少ない数字になぜか歯痒い思いである。とりあえず食べていかなければならないから、軍備ではなく民生に着眼し経済成長を遂げたわが国である。負けたわけであるから生意気は言えない。勝った相手はやり放題でよろしい。軍事基地は何百とできた。その代わりに経済成長路線まっしぐらであった。例えば、どうだ。自動車産業は世界のトップだ。
戦さをしない国。いいではないか。押しつけの憲法。どこがいけない。結局は、その時々の欲望に沿って理想を掲げわれわれは動く。理想とは、あって無きがごとくの万人の言い訳であるから、たまたま負けて文句が言えないから理想を授かったわけである。七十四年前の真実はそこにある。
町内で囁かれた兵役の言葉は本当であったのである。妙な言説は慎むようにと言われても何のことやら。知らなかったというのが本当であろう。誰も知りはしない。どこでどうなっているのやら。歴史とは記されたものであるから、後でわかるということである。※
回覧板には、兵役ごくろうさまと言いましょうとあった。その通りでしかない。これから三十年で敗戦後百年である。もう生きてはいないが、どうか何ごともないようにと祈るしかない。そう思うよね。そして、逆境に強い国であることに誇りをもたなければならない。君もそう思うだろ。

田中千智展「100 年の夜」10/22(木)〜31(土)
2つの画廊にて同時開催の個展です。
会場ごとの開廊・閉廊時間が異なりますのでご注意ください。
田中千智展「100 年の夜」
One Hundred Nights / Chisato Tanaka Exhibition
2015年10月22[木]~31日[土](日曜休廊 Close on Sunday)
■「漆黒の旅」
第一会場 小林画廊 /Venue 1: Kobayashi Gallery
104-0061 東京都中央区銀座7-5-12
/7-5-12 Ginza,Chuo-ku,Tokyo Japan
10:30~18:30 (Close at 17:00 on Sat.)
URL: www.kobayashi-g.co.jp
■「二つの国」
第二会場 村越画廊 /Venue 2: Gallery Murakoshi
104-0061 東京都中央区銀座 6-7-16岩月ビル8階
/Iwatsuki-blg, 6-7-16 Ginza,Chuo-ku,Tokyo
10:00~19:00 (Close at 18:30 on Sat.)
URL: g-murakoshi.com

※掲載作品:生まれ変わった人 キャンバスに油彩、アクリル 2015年
※太平洋戦争( Pacific War)は、第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国など枢軸国と、連合国(主にアメリカ合衆国、大英帝国、オランダなど)の戦争である。日本側の正式名称は1941年(昭和16年)12月12日の東條内閣閣議決定された「大東亜戦争」で、支那事変も含めるとされた。アメリカ西海岸、アラスカからオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から東南アジア、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と米英蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。

2015.10.21.

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