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Breakfast at Tiffany’s Truman Capote ティファニーで朝食を / トルーマン・カポーティ

われわれはみな、大人になる前は子共だったのであり、いろいろな欲求や教師たちに長いこと引き回されねばならなかった。ルネ・デカルト※

つまり、ぼくにとっては都合がよくて、仕方がないから、未来はほとんどなくて絶望だけがちらついていくんだ。何もできなかった自分がくっきりと浮かび上がり、そこにぼくがいる。目の前にある現実はすでに結論をもって迫ってきているから、選びようがないんだ。運命などという前に、明らかな策略があるのではないのかと思うのだ。ぼくは東七十八丁目にあるブラウンストーンのマンションによく行ってた。住んではいなかったが、目の前を通り過ぎるのが人生の全てだと小さなころから思っていたから、そうしただけさ。
語り手はぼくである。ぼくとはたぶんトルーマンのことだが、そのころのぼくはニューヨーカー誌で使い走りをやっていた。真下の部屋にミス・ホリー・ゴライトリーが住んでいた。風変わりな娘だなと思いながらも、風変わりはぼくと同じさと思っていたにちがいない。ぼくは教わるものはなにもないと不遜ながら思っていた。大学はむだだ。馬鹿なやつらが時間と金をむだにしている。ぼくは作家になると思っていたから、それで十分だ。ちゃんと字は書けるからね。小さい頃、となりのネルと毎日タイプライターに向かっていたのは今の自分を確かめたかったからだしネルもそう思っていたはずだ。※
アリス・モリス(文芸編集者。後にハーパーズ・バザーでトルーマンの担当となる。):「ティファニーで朝食を」をハーパース・バザーに載せることになったの。レイアウトも並行して進められたわ。アート・ディレクターはアレクセイ・ブロドヴィッチ。彼は小説の内容とは関係ないけど、ホリー・ゴライトリーの猫を思わせる素敵な写真を用意した。窓辺にいる猫。ミステリアスで霞のかかったようなちょっと霞んだ写真。※
しかし、ハーパーズ・バザーは断ってきた。推測に過ぎないがティファニーに遠慮したのさ。決まってるだろう。アリスはかんかんだった。そうこうするうちにエスクァイアから買いとりたい旨電話が鳴った。千ドル上乗せで手を打った。エスクァイアは売れに売れた。トルーマンは旅先のパリから、エスクァイアに掲載したのはまずかったかなとアリスに手紙をよこした。
クレイ・フェルカー(編集者):雑誌があんなに売れたのは空前絶後のことだった。ふつう、雑誌の売れ行きは発売日に最高になり、その後は一気に下り坂になる。ところが、あの号は書評が出てから、売れ行きがもう一度急上昇したんだ。※
ドリス・リリー(コラムニスト。「百万長者と結婚する方法」がある。):ホリー・ゴライトリーのモデルは誰かという話題で大騒ぎだった。パメラ・デュークと私は、東七十八丁目にあったエレベーターなしのブラウンストーンの家に住んでいた。「ティファニーで朝食を」に出てくる家よ。そのもの。トルーマンはしょっちゅう来て、私が出かける前にメイクするのを見ていた。小さな男の子みたいだったわ。よく角のドラッグストアまでいっしょにハンバーガーを買いにいったっけ。そのドラッグストアの男はいつも「弟はどうしてる?」と聞くのよ。それはともかく、トルーマンはあのアパートに入りびたっていた。ホリー・ゴライトリーには私に似たとろがたくさんある。※
ミス・ホリー・ゴライトリーのもう一つの名前はルラメー。立っていられないほどの栄養失調で弟のフレッドとテキサスの田舎町で馬の医者のドク・ゴライトリーという男に拾われた浮浪児だった。両親は病死、その後、ごろつき同然の家族にひきとられ逃げ出した。そして、14才でドク・ゴライトリーと結婚した。そして、逃げ出しニューヨークへ出てきた。彼女が彼女の部屋のポストに「ミス・ホリー・ゴライトリーは、ただいま旅行中」という名刺のようなものを掲げている意味が分かるような気がするんだ。弟のフレッドは兵隊に行き戦死した。
ホリーを追っかけてきた爺さんに会ったんだが、彼女の旦那だと知ってびっくりした。しかし、そんなものかなと思ったよ。腹へったら何でもやるよな。弟も連れていたし、うっすらと希望だってあったはずだ。相手が爺さんでもいいさ。ホリーは、つまり、ルラメーは決断したんだ。
トルーマンは幼少時南部アラバマ州のモンローヴィルのおばたちの家にひきとられている。モンローヴィルの噂では、トルーマンの母親のリリー・メイは、頭が空っぽの尻軽女ということになっている。親父も詐欺で捕まっている。トルーマンは幼くして他人の存在を分かることでおとなになったのだ。幼いトルーマンは、金髪の風変わりなチビは、空想の中で必死に自分を維持していた。認識とは経験の賜物だからね。※
朝の三時か四時頃に呼び鈴が鳴る。そして、朝帰りのミス・ホリー・ゴライトリーの声が聞こえる。「ほんと、ごめんなさい。鍵をなくしちゃったものだから」。この言葉が彼女との合図であったし、ぼくの居場所を教えてくれていた。いいんだ。君はティファニーで朝食をとるご身分なんだから。

※『ティファニーで朝食を』(Breakfast at Tiffany’s)トルーマン・カポーティの中編小説。1958年にランダムハウスから出版された。ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公を描く。1961年にオードリー・ヘプバーン主演でパラマウント映画によって映画化された。題名はトルーマンが実際に聞いたエピソードからとったもの。ニューヨークに不案内な男が豪勢な朝食をとりたいと聞かれ、知ったかぶりをして、たったひとつしか知らない有名な宝石店ティファニーの名前を言ったことからきている。
※トルーマン・ガルシア・カポーティ(Truman Garcia Capote, 1924年9月30日 - 1984年8月25日)は、アメリカの小説家。1924年 ルイジアナ州ニューオリンズで、父アーチ・パーソンズ、母リリー・メイ・フォークの息子として生まれた。出生時の名前はトルーマン・ストレックファス・パーソンズ(Truman Streckfus Persons)。両親は彼が子供の時に離婚し、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマなどアメリカ南部の各地を遠縁の家に厄介になりながら転々として育った。その中には高齢者同士の孤立世帯や精神障害をもつ高齢者もあり、その当時の思い出は、『誕生日の子どもたち』という短編集に収められている。引越しの多い生活のため、ほとんど学校に行かず、独学同様に勉強した。母親は後年ジョゼフ・ガルシア・カポーティと再婚し、その後自殺した。
彼はアラバマ在住当時、後年の女流作家ネル・ハーパー・リーと幼なじみで、リーの代表作『アラバマ物語』中の登場人物ディルは彼がモデルである。ちなみにこの作品は、映画化されてよく知られたものになり、原作自体も学校の教材として取り上げられることも多い。
17歳で「ザ・ニューヨーカー」誌のスタッフになる。19歳の時に掲載された最初の作品『ミリアム』でオー・ヘンリー賞を受賞し、「アンファン・テリブル(恐るべき子供)」と評される。23歳で初めての長編『遠い声 遠い部屋』を出版し、若き天才作家として注目を浴びた。その後は中編『ティファニーで朝食を』が映画化されヒットするなど、1作ごとに華やかな話題をふりまき映画にも出演し、ノーマン・メイラーとともに作家としては珍しくゴシップ欄の常連になるなど、公私の両面で話題を振りまいた。
1966年に発表した『冷血』では、実際に起きた一家殺人事件を題材にすることにより、ノンフィクション・ノベルという新たなジャンルを切り開いた。
晩年はアルコールと薬物中毒に苦しみ、テレビで不可解な発言を行うなど奇行が目立ち始め、執筆活動も『冷血』以降は長編を一度も書き上げることがなく公私共に没落していく。遺作となった長編『叶えられた祈り』で事実を交えたかたちで上流社会の頽廃を描いたことにより、彼が懇意にされていたセレブリティからの反発を招き、作品も未完に終わった。
1984年8月25日にカリフォルニア州ロサンゼルスの友人ジョーン・カーソンのマンションで心臓発作で急死し、カリフォルニア州ウェストウッドのウェストウッド・メモリアルパーク墓地に埋葬された。
※ルネ・デカルトの著書「方法序説」谷川多佳子 訳、岩波書店1997年初版より。ここでの引用は、頭の悪い馬鹿な大人にふりまわされ子共たちが迷惑を被ったくらいの意味。訳注より”欲求”について。スコラ用語。「ある感覚的対象の知覚がわれわれのうちに生み出す欲望や嫌悪の動き」を意味する。”欲求と教師”が偏見の原因と説く。※ルネ・デカルト(仏: René Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。スコラ学はラテン語「scholasticus」(学校に属するもの)に由来する言葉で、11世紀以降に主として西方教会のキリスト教神学者・哲学者などの学者たちによって確立された学問のスタイルのこと。スコラ学は決して特定の哲学や思想をさすものでなく、学問の技法や思考の過程をさすものである。スコラ学の「スコラ」とは英語の「School(学校)」と同源語である。
※ホリー・ゴライトリーは言うまでもなく『ティファニーで朝食を』のヒロイン。
※ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)は、アメリカ合衆国でコンデナスト社が発行する雑誌。ルポルタージュ、批評、エッセイ、風刺漫画、詩、そしてフィクション小説を掲載する。
※ブラウンストーン:ニューヨークブルックリンハイツ。国内有数の歴史指定地区。
※ネル・ハーパー・リー(Nelle Harper Lee, 1926年4月28日 - )は、アメリカの小説家。『アラバマ物語』(To Kill a Mockingbird)で知られる。作家トルーマン・カポーティは子供時代のハーパー・リーの隣人で、幼なじみであり、『アラバマ物語』に登場する少年ディルのモデルでもある。60年代中頃に、リーはカポーティと共に彼の小説『冷血』の取材助手として旅行した。カポーティは同作品を彼女に献呈した。
※アリス・モリス、クレイ・フェルカー、ドリス・リリーのテキストは、『トルーマン・カポーティ』ジョージ・プリントン著、野中邦子 訳、1999年、新潮社刊より引用した。
※ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)は、Harper & Brothers 社が創刊したファッション雑誌である。アメリカ合衆国のニューヨークで1867年に「Harper's BAZAR」として創刊。1929年に現在の「Harper's BAZAAR」につづりを変更する。女性向けのファッション誌としては世界最古の歴史を誇っている。
※エスクァイア(英語名:Esquire)は、1933年にアメリカ合衆国シカゴで創刊された世界初の男性誌である。アーノルド・ギングリッチ、デビッド・スマート、ヘンリー・ジャクソンの3人が創刊した。創刊編集長は ギングリッチで1945年まで編集長を務めた。アーネスト・ヘミングウェイやF・スコット・フィッツジェラルドが寄稿したことで話題を集めた。
※アラバマ州のモンローヴィル / モンロー郡(Monroe County)は、アメリカ合衆国アラバマ州の南部に位置する郡である。郡庁所在地はモンロービル市(人口6,519人)であり、同郡で人口最大の都市でもある。郡名は第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローに因んで名付けられた。
※オードリー・ヘプバーン( Audrey Hepburn、1929年5月4日 - 1993年1月20日)は、イギリスの女優。ヘプバーンはブリュッセルのイクセルで生まれ、幼少期をベルギー、イングランドで過ごした。オランダにも在住した経験があり、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツが占領していたオランダのアーネムに住んでいたこともあった。イギリスで数本の映画に出演した後に、1951年のブロードウェイ舞台作品『ジジ』 で主役を演じ、1953年には『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得した。その後も『麗しのサブリナ』(1954年)、『尼僧物語』(1959年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)などの人気作、話題作に出演している。
※ティファニー(Tiffany & Co.)は、世界的に有名な宝飾品および銀製品のブランドである。1837年9月18日にアメリカで創業され、今日では、ロンドン・ローマ・シドニー・東京など世界20カ国にブランドショップを持っている。一番初めの店はニューヨークのブロードウェイ259番地におかれた。本店は1940年にニューヨークの五番街・57丁目に移転した。この店はオードリー・ヘプバーンが主演した映画『ティファニーで朝食を』のおかげで観光名所の一つとなっている。
※写真は、fashion-lbd掲載webよりオードリー・ヘプバーン。リトル・ブラック・ドレス(Little black dress)とは、黒一色で装飾の少ないドレス(主にワンピース)を指す。1926年、喪服として受け入れられていた黒一色のドレスをファッションブランドシャネルがモードの洋装として発表。以降LBDとも愛称され、フォーマルからパーティー、ビジネス、お洒落着と使いまわしの融通の良さ、また女性の魅力を引き立たせる事から欧米では女性の必需品とされている。

<参考図書>
『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ著、村上春樹 訳、2008年、新潮社刊。
『トルーマン・カポーティ』ジョージ・プリントン著、野中邦子 訳、1999年、新潮社刊。

2015.5.19.

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