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村上勝 「前方の微笑」
自己愛に満ちている。自己愛とは、そこで完結をするということであると理解している。未来は決してないのである。

「深き淵より」という作品。これは造形のままに中程から美しい何かが現われるのだろうと思う。円形に敷かれた葉は何かを迎える形であり、葉の白さは私は無いということか。中央の藍色は知識だろう。知識の悩みに相違ないだろう。
これは村上勝の略歴から言えば、2011年のギャラリーおいしでの展示を見ての感想である。「前方の微笑」という書籍からすれば頁70〜71の「雑音の盲点」のことかと思う。

村上勝 1947年、福岡県行橋市生まれ。美術家。北九州大学外国語学部卒業。2008年、第33回福岡市文化賞受賞。
「前方の微笑」2015年初版。行光出版刊。

切迫する高めの音調に変貌した心は加速し
興味本位の希望と失望が等距離に配置されている
絡み合う得意勝手な干渉は真実を消し合って
言葉も儀式も必要としない
混濁の過度の摂取は他と結合して自己疎外を起こす
過酷な効果を伴い虚弱で複雑な関係は翻弄され
巻き込まれた紛れもない構造上の欠陥
無音の中で聞こえる音の存在

murakami.png常日頃の独り言の好みの語彙の羅列と言えばあんまりであろうか。しかし、呻吟する作者の素顔が見えてくるようである。語彙の配列による意味の伝達を拒んでいるわけであるから当人にしか理解はできない。それが”詩”とかいうものであるらしいならば、こちらの方こそご遠慮願いたい。しかし、作者の好きな世界が見えてくるのであれば同じ人間どうしであるから、分かりあえる時がくるやもしれない。
ギャラリーおいしで手にした村上勝の書籍のことである。タイトルは「前方の微笑」。自己愛に満ちている。自己愛とは、そこで完結をするということであると理解している。未来は決してないのである。ややこしいが本人が実印を押しているわけであるから、他人がとやかく言うことではない。
作品として羽のような立体造形が多く見られる。これらは光に集まった夏場の羽虫がヒントかと思われる。光の、その場所には何にもないのに集まる虫たち。気持ちの悪い光景である。びっしりと集まった虫の向こうには、ただ空虚のみがある。羽と言えば、自由に空を飛んで行けるようなイメージがあるが、村上勝にとっては、飛べなかった羽があっただけだったのだろう。何にもないところに精力をつくすイメージがあるだけである。即ち、そんなふうなイメージも人ならではある。息が詰まりそうではあるが、生きてみようではないか。

※自己愛:ナルシシズムあるいは自己愛とは、自己を愛し、自己を性的な対象とみなす状態を言う。転じて「自己陶酔」「うぬぼれ」といった意味で使われることもある。語源はギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスが水面に映る自らの姿に恋をしたというエピソードに由来している。ナルシシズムを呈する人をナルシシストと言うが、日本においてはナルシストという言葉で浸透している。
※ギャラリーおいし:福岡市中央区天神2-9-212南通り  TEL092-721-6013


2015.5.5

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