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Paul Klee / パウル・クレー / サワギク(じきに老人)、1922 バーゼル美術館蔵
画家の名前は知らなくても、どこかで見た絵だと思うような絵かもしれないが、否、錯覚であってそう思っているだけだと思ってしまう絵かもしれない。画題は「サワギク(じきに老人)」、1922年作のパウル・クレーの絵である。先の「学者、1933」と違わず40.5×38.0㎝と小さく画家の内密さが感じられる作品である。※

「ところで、この作品において、二つの眉弓の形が違っていることは、悲劇のクラウンの化粧を思い起こさせる。伝統的に白粉を塗りたくるピエロの姿が呼び起こされる。そして正面像と、向かって右半分の横顔との巧妙な交錯は、若さから老いへの移行を写しとっているように見える。」※ この評者の見方がどうと言うのでもないが、わが国日本人にしてみれば、切れ長の目に、おちょぼ口と思えば天平のころの仏像を思うのは致し方のないことだろう。※ 否、それよりも、東洋人ののっぺりとした表情ではなく欧米人の表情豊かな顔を思い浮かべる。両手のジェスチャーを交え眉や目を口を曲芸のように動かし感情豊かに相手に意志を伝える様を、この絵から想像する。ま、こんなところさ。とでもつぶやきながら顔の左右を不均等に動かし首を傾げてみせる。欧米人特有のおなじみの例のあのしぐさである。自画像であれば、クレーのこのころの心境であろうか。バウハウスに招かれた彼はどうであったのか。ま、こんなところさ。いろいろあるけどね。ぼくは、妻リリーのため、息子のため、仕事に励むよ。そうだよ。おちょぼ口の意味合いはここにあるのかもしれない。※
たまたま寄宿舎の庭に咲いていたさわ菊をモチーフに描いたのだろう。さわ菊は黄色もあれば橙色もあるようである。あたたかな色合いは人間味をおび平穏な日々を想像しないでもないが、彼がベルンでシュトラッサー教授の授業を受け、解剖学の知識を完璧なものにしていたことを考えれば、一皮むいたひとの表情筋の様を想像すると恐い気もする。全体に広がるやさしいオレンジ色は、下地の血の色である赤を隠すための偽りの色と考えても不思議ではない。芸術家は人並みではない仕事をするから、芸術家である。そう考えれば、このころの彼は、何かに対して容赦のない痛烈な批評を下していたにちがいないのではないのか。※ ”じきに老人”とは、労多くて、老け込んじゃいそうだな。と、例のごとく頬杖をついて明日のことを思うパウル・クレーを思い起こさせるのである。※

<引用及び参考文献>
※岩波 世界の巨匠 クレー / コンスタンス・ノベールライザー著、グアルティエーリ・ディ・サン・ラッザーロ序文、本江邦夫 訳、岩波書店、1992年刊。/ 「サワギク(じきに老人)」、1922」40.5×38.0㎝ バーゼル美術館蔵。本稿画像2点とも同著より。
※パウル・クレー(Paul Klee、1879年12月18日 - 1940年6月29日)は20世紀のスイスの画家、美術理論家。ワシリー・カンディンスキーらとともに青騎士グループを結成し、バウハウスでも教鞭をとった。その作風は表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特のものである。※ワシリー・カンディンスキー(Vassily Kandinsky、1866年12月16日 - 1944年12月13日)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。※青騎士(ブラウエ・ライター、ドイツ語: der Blaue Reiter)は、1912年にヴァシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクが創刊した綜合的な芸術年刊誌の名前であり、またミュンヘンにおいて1911年12月に集まった主として表現主義画家たちによる、ゆるやかな結束の芸術家サークルである。
※バーゼル市立美術館 (Basler Kunstmuseum) は、スイス・バーゼルにある美術館である。単にバーゼル美術館と呼ばれることもある。1671年に開設された世界最古の公共美術館の1つである。自由都市バーゼルで印刷業などで財を成したアマーバッハ家(Amerbach)がコレクションした美術品をバーゼル市が購入し公開したものが基となっている。アマーバッハ家の後援を受けたハンス・ホルバインのコレクションをはじめ、西欧絵画のコレクションが充実している。また、ダダイズムやシュルレアリズムなど、現代美術も所蔵している。
※サワギク(沢菊、Nemosenecio nikoensis)は、キク科の多年草。別名ボロギク(襤褸菊)。沢沿いや湖沼沿いなど湿気の多い場所に生息する。果実期には冠毛がぼろ(襤褸)のように見える。それぞれ、サワギク、ボロギクの名の由来である。
高さは60–90cm。5–8月に鮮やかな黄色い花を咲かせる。※サワギクを示すラテン語”senecio”は老人を意味する”senex”から派生している。(岩波 世界の巨匠 クレー、グアルティエーリ・ディ・サン・ラッザーロ序文、72ページ)
※天平文化(てんぴょうぶんか)は、時期では7世紀終わり頃から8世紀の中頃までをいい、奈良の都平城京を中心にして華開いた貴族・仏教文化である。この文化を、聖武天皇のときの元号天平を取って天平文化と呼ぶ。
※岩波 世界の巨匠 クレー / コンスタンス・ノベールライザー著、グアルティエーリ・ディ・サン・ラッザーロ序文、本江邦夫 訳、岩波書店、1992年刊。/ 「サワギク(じきに老人)/ 72ページ解説文より。
※1920年、建築家のヴァルター・グロピウスが、創設したばかりの「バウハウス」にクレーを招聘したとき、(中略)「バウハウス」とは建築中の家を意味する。この名の下に、グロピウスは一群の芸術家と職人をまとめあげ、こうした結合から、芸術的かつ倫理的な新しい秩序を生みだそうと考えていたのだ。(岩波 世界の巨匠 クレー、グアルティエーリ・ディ・サン・ラッザーロ序文、23ページ)
※1905年、あこがれのパリへ旅行する。ルーブル美術館、リュクサンブール美術館、夜には、ダンスホールやカフェに足を運ぶ。二十代のころである。
「その間、彼はすでに、ベルンでシュトラッサー教授の教授の授業を受け、解剖学の知識を完璧なものにしていた。解剖学の勉強に、かつてのミュンヘンにおけるような退屈をおぼえるようなことはもはやなく、いま学びつつあるものはいつか自分の役に立つのだという思いに勇気づけられて、彼は辛抱強く学びつづけるのである。」(同上、同著の8ページ)
※以下の文章は有名であるそうである。クレーの論文「創造的信条」1920年から、その冒頭の一文「芸術とは目に見えることを再現するのではなく、見えるようにすることである。」と、あるのだが、この一文から本稿の「サワギク(じきに老人)」をながめれば、確かに見えてくるような気がする。例えば、絵画ならば、見えてないところを、見えるように描けということだろう。しかし、これは技法だけではなさそうである。

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